現在ホーチミンでもStay at Homeが推奨されています。そこでネット上に存在する限られたデータ(古写真、古地図、1点の動画、WEB情報)だけを元に、日越関係を把握するには避けては通れない79年前に日本が行った、南部仏印進駐でのサイゴン入城(進駐)について調べ上げてみました。

自宅で過ごすのは退屈かもしれませんが、わずかなデータでも探して活用すればこんなことがわかるということで、歴史に興味ある人も興味ない人も、自宅で過ごす際のコンテンツとしてお楽しみいただければと思います。

1. 南部仏印進駐とはどんな出来事なのか?

太平洋戦争(日米開戦)への回帰不能点と言われている1941年の歴史的事件です。

1937年に始まった日中戦争は、欧米から蒋介石を支援する援蒋ルートの存在により、終わりが見えない状況でした。そんな中、ヨーロッパではドイツの侵攻によりフランスは降伏します。

それを受けて1940年9月に援蒋ルート遮断を目的として北部仏印(フランス領インドシナは、仏印と呼ばれていた。現在のベトナム北部)に進駐します。さらに南方の資源(石油・ゴム・ボーキサイトなど)戦略物資獲得と作戦基地の確保のため、軍を南下させたのが南部仏印進駐となります。

「南部仏印進駐の次はシンガポールを狙う」という危機感が世界中で高まり、これによりアメリカは在米日本の資産凍結令を公布してイギリスやオランダもそれに追随、さらに8月になると対日石油全面的禁輸に踏切ったことで日米戦争の契機となってしまいます。

しかし「南部仏印進駐」検索して頂ければわかりますが、その時サイゴンで撮影された写真は、わずか数枚しかなくその日の行動経路が現在のホーチミンのどこなのか分からないため、それを解明しようという試みです。

まずは、NHKにて公開している戦争証言アーカイブのニュース映像から読み解いていきます。

2. 日本軍の上陸地点はどこなのか?


大量の倉庫があって、荷下ろしと部隊を整えられるだけのスペースもあり、かつ荷物運搬用の軌道/線路があることがわかります。

これらの画像と下記の古地図から上陸地点は、現ホーチミン4区にある倉庫街の埠頭と判断しました。

上記は、1946年の地図(戦後フランスより先に進駐したイギリスが作成したので英語表記。1942年の地図を元に1945年12月の航空写真を元に補正して1946年3月に作成とある)の該当部分です。

川沿いに陸海軍の倉庫(Army and Navy godowns)とあり、かつ軌道の存在も見て取れますので、上陸地点はここに違いありません。

3. 1枚目の写真~特徴的な建物は何の建物か?~

次に、南部仏印進駐といえば出てくるこの写真。

特徴的な建物ですが分かるのは、入り口にある「GARAGE」の表記だけです。なおGoogleストリートビューなどで埠頭周辺を見た限り建物は見つかりませんでした。

そこで手掛かりを求めて先ほどのニュース映像を見返します。先の上陸地点の映像05:57において、倉庫の壁面にCHARGEURS REUNISと書かれているのがわかります。

「Chargeurs Réunis」は、フランスの旅客会社(現在は製造業)。この会社の画像を探すと、1931年パリの国際植民地展で展示されたという空撮写真が見つかりました。

この写真をよく見ると、なんとそっくりの建物が写っています。

ということは、上陸地点である4区の係留地&倉庫街近くにこの建物があったことは間違えありません。

ただしさすがに89年前ということや手前に大きな船もあって、現在の地図から探し出すことは困難です。そこで時代を下った空撮写真を探します。

上記は、30年後の1961年12月11日に撮影されたほぼ同じ位置の写真(雑誌LIFEに掲載)です。こちらにも例の建物が写っています。

この写真の倉庫群と現在のGoogle Mapの衛星写真を比べて正確な位置を検出してみます。

①~⑥の建物の位置関係が合致し、4区にある現在のNguyễn Tất Thành通りとNgô Văn Sở通りと交わる場所にあることが判明しました。よってこの写真が撮られた場所は、現在の298 Nguyễn Tất Thànhという住所でした。

ではこの建物は何の建物なのでしょうか?当時の写真にはGARAGE(ガレージ)と書かれており、自動車関係の可能性があります。

そこで当時サイゴンで一番著名な自動車を調べると、フランスの自動車メーカーCitroën(シトロエン)でした。

現在のグエンフエ通り(Nguyễn Huệ)にある有名なREX HOTELは、シトロエンのサイゴン本社だったほど知名度があった存在です。

そこで植民地時代のシトロエンについて調べると、この建物はそのガレージであることが判明します。
ちょうど港で揚陸した自動車をここに格納し、販売もしていたのかもしれません。

既に窓もコンクリートでふさがれた状態ですが1997年に撮影されたこの建物の最後の姿です。

4. ちょっと脱線、写真に写っていた空母と日本との関係

1961年の写真に写っている空母は、意外にも日本と関係がありました。

まずこの空母が何という名前なのかです。1961年にサイゴンへ来た空母について検索すると、こちらの書籍にこんな記述がありました。ちなみに1961年はちょうどアメリカでケネディ政権が誕生し、5月に軍事顧問団を送ってベトナムへの軍事介入を始めた年です。(ある意味アメリカによるサイゴン進駐です)

On December 11, 1961, the USNS Core docked in the Saigon Port to unload 32 H-21 Shawnee helicopters and more than 400 U.S. soldiers from the 57th Transport Company from Fort Lewis

これによりこの空母は、当時南ベトナムの首都だったサイゴンに大量のヘリコプターと400名の兵士を輸送した「USS Core」であることが分かります。

上記写真は、サイゴン到着後の貴重なカラー写真でヘリコプターの輸送をしてきたことがハッキリわかります。そしてこの空母を調べると、第二次大戦中に大西洋で活躍した軍艦ではあるものの、日本降伏後に太平洋各地にいたアメリカ兵70万人の帰国作戦「Operation Magic Carpet(魔法の絨毯作戦)」に参加したことがわかりました。

上記写真は違う空母での写真ですが護衛空母USS Coreも同様に、その艦載機搭載スペースにて兵員を収用し横須賀からアメリカ兵を運搬を行ったとあります。不思議な縁ですね。

5. 2枚目の写真~線路のある橋はどこか?~

さて話を戻します。こちらは、写真に加えて映像にも映っている有名なシーンです。

橋の上に線路もあり、既に取り上げた1946年の地図にも線路が橋の上にあって、「Swing bridge Rail and Road」と書かれていることから1枚目の写真の場所をそのまま北西へ進み4区と1区の境界にあるKhánh Hội橋に間違えありません。

上記は、現在の同じ方向における風景です。その後、橋がかけ替えられた為、現在はカーブしてVõ Văn Kiệt通りに繋がっているものの、当時は直進してHồ Tùng Mậu通りへと繋がっていました。

6. 3枚目の写真~ヨーロッパ式の柱がある場所は?~


左側の手前の石造りの建物とその先の円形の柱が特徴的です。よってここはHồ Tùng Mậu通りの入口であることがわかります。Googleストリートビューでも若干撮影位置は異なるものの、一部だけ当時と同じ風景を確認することができます。

手前の石造りの建物は、当時のチャータード銀行(現在のスタンダードチャータード銀行)で現存しています。

7. 4枚目の写真~広場のある場所はどこか?~

国立公文書館 所蔵されており、アジア歴史資料センターで公開されている「写真週報」181号(昭和16年8月13日号)にも掲載されている写真のカラー版を見つけました。

奥にある特徴的な建物と手前の広々とした空間から、ここが現在でも観光地で日本人旅行者も訪れるベンタイン市場であることが分かります。

なお下記の古写真や当時の地図を見ると、広場には路面電車の線路があることがわかり、これが先ほどの4枚目の写真における車両(兵を満載したトラック)の後ろ、自転車部隊と交差する場所に写っています。

8. 5枚目の写真~鉄道施設のある場所とは?~

4枚目と同じ自転車部隊が写っていますが、同じ場所で撮られた写真なのでしょうか?

ベンタイン市場のすぐそば、現在の9月23日公園に当時サイゴン駅があったのは有名な話です。
しかし、上記写真からは左上側にまで線路や鉄道設備があって撮影場所がハッキリしません。そこで後年(1940年代後半~1950年代?)に撮影された航空写真を見つけたので確認してみましょう。

見比べると、広場の左下側には線路があり、左上の奥側が駅舎(プラットフォーム)であることがわかり、駅舎の形も同じことからこの場所で撮影されたことが確定しました。
またこの写真が撮影された場所は、広場の右側にある3階建ての高い建物の2階であることも分かりますね。

当時はCHEMINS DE FER(フランス語で「鉄道」)という看板がかかっており、ニュース映像を見返すと映っていました。

この建物は現存しており、現在はサイゴン鉄道輸送株式会社が入っています。

9. 最後6枚目の写真とサイゴン入城式典

5枚目の写真で閲兵している近衛師団歩兵団長・小林隆少将を別の角度から撮ったもの。よく見ると後ろに4枚目の写真にも写っている車両が写っていました。

なお以上で見てきたことからわかる通りこの日本軍の行軍は、あらかじめ計画されて実施されたサイゴン入城式という式典(イベント)であり、ベンタイン市場前の広場が式典のメイン会場であったことがわかります。下記は、4~6の写真の場所の現在の風景です。

今までの場所をホーチミンの地図上に示すとこうなります。

さて式典の後、日本軍はどこに向かったのでしょうか?また彼らは、サイゴンのどこに駐屯したのでしょうか?もちろん地図や写真が無い中、わずかな文章と状況証拠から2つの部隊の駐屯地を探し出しました。長くなったので続きは、後編で紹介します。

NEW【後編】南部仏印進駐での「日本軍サイゴン入城、その後」を解明する

以前のベトナム歴史秘話はコチラ
19世紀にベトナムの運命を決めたのは感染症だった?
全人口の10人に1人が亡くなった200年前のパンデミックとは?
なぜ日露戦争の犠牲者がホーチミン中心部に埋葬されていたのか?

10. ベトナム現地情報を知りたいのならバイタリフィへ

バイタリフィ並びにベトナム子会社のバイタリフィアジアでは、ベトナムでのオフショア開発に加えて、将来ベトナムのマーケットを狙っていきたい企業のお手伝いができるよう現地情報の提供を行っております、

また、現地法人設立の前に低コスト&低リスクでテストマーケティングやお試し販売もできますし、11年以上に及ぶベトナムでのオフショア開発経験を活かした+αのサービスとメリットを提供しております。無料でご相談頂けますので、ぜひ一度お気軽にお問合せいただけましたら幸いです。

ベトナムオフショアならバイタリフィへ


記事内の各画像はネット上より引用しており、画像はそれぞれの権利者に帰属します。