代表の川勝です。
ベトナムでのオフショア開発、ラボ型開発を手掛けています。

私とベトナムの出会いは21年前の1995年に遡ります。
バックパッカーとして東南アジアを旅していましたが、当時、日本の有名な旅行ガイドブックが勧める周遊ツアーをマネしてプランを立てました。

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バンコク ⇒ ハノイ ⇒ フエ、ダナン ⇒ ホーチミン ⇒ バンコク

バンコクを拠点にしてベトナムを廻りましょうというプランでした。(実際は異なるルートをたどることに)
ちなみに1994年に観光ビザの要件が緩和されたため、バックパッカーたちがベトナムにも行き始めた頃でありました。猿岩石の二人が東南アジアをヒッチハイクしてブレイクしたのが、私の訪問から1年後の1996年です。

ベトナム入りまで

バンコクのカオサン通りの旅行エージェントでベトナムのビザとエアチケット(バンコク→ハノイ、ホーチミン→バンコク)を取得し、ビザ取得まで約1週間待ち、ハノイに向けて飛び立ちました。
この時点で既にミスを犯していました。

当時のベトナムのビザは、入国方法や場所を細かく指定することになっており、バックパッカーのように気ままな旅をするには、多くの方法を加味したビザにしなければならなかったが、私はハノイの空港イン、ホーチミンの空港アウトという手段のみであったので、他の方法での出国ができないビザとなっていました。

例えば寄り道してハノイから中国国境に抜けたり、ダナンからラオスに抜けたり、ホーチミンから陸路カンボジアに行ったりと、ありえる選択肢を取れないビザになっていました。そのため後日ホーチミンから陸路カンボジア入りするときに、リ・エントリービザを別途取得しなければならず、時間とお金を無駄にしてしまいました。
ちなみに、そんなことはその有名ガイドブックには書かれていません。

べとまる様より拝借

べとまる様より拝借。クリックすると該当記事に飛びます。

ハノイの空港に着いて、まずは50usdをベトナムドンに両替しました。当時のレートは1ドル11,000ドン。よって55万ドンを入手することに。
ほぼすべてを2000ドンと5000ドン紙幣でもらったので、分厚い札束になったことを記憶しています。(2000ドンだけだと275枚)
札束持つのはイヤだったのだが、街で買い物するとわかるが、実に合理的で、フォーやバインミーはだいたい2000ドン(20円)くらい、シクロ(自転車タクシー)も2000ドンか5000ドンくらいの料金設定でした。

空港から乗り合いバスで市内に向かい、ガイドブックに載ってたゲストハウスの近くと思われる場所に降ろしてもらう。
その住所を探して歩き回り、街行く人にも聞きまくるが見付からず、駅のほうまで行って旅行エージェントにまで聞きにいく。
すると判明したことが、そんなゲストハウスも存在しなければ、その住所も存在しないと!

ふぬーーーーっ。。。

ガイドブックは旅人の情報を元に編集しているため、当時のベトナムは情報も少なく、裏づけも難しかったのでしょうね。
怒りの勢いでガイドブックを捨て、地元の人たちに聞きながら安いゲストハウスを探しました。1泊5usd、高い。。
安いと感じると思いますが、その前のバンコクではカオサン通りの1泊40バーツ(約120円)というゲストハウスに泊まっていたので4倍の値段です。

1995年の1月初旬でハノイは意外と寒く、バンコクからTシャツ・短パン・サンダルで来た私はすぐに風邪を引いてしまいました。
すぐに出たかったホテルも風邪で出れず、3泊くらいすることに。
その後回復したし、ハノイは寒いので電車でダナンに向かいました。

中部の都市ダナンへ

ハノイ~ダナン間は距離にして600kmくらいです。けど電車で12時間。なんでやねん、と思いながらも初めての海外での電車の旅でワクワク。夜19時発で朝7時着くらいの感じです。ハノイは寒くても電車に乗ると乗客も多く、人の熱気で次第に暖かくなってきます。

料金は確か20usdくらいだったと思います。けれど、当時のベトナムは外国人の公共交通機関の料金はベトナム人の4倍の設定です。
地元の人は5usdということです。この仕組みはバックパッカーの間でも物議を醸しており、「4倍払ってるから4席占領する」と言って、ベトナム人が満員で狭い思いをしているのを尻目に、荷物で占拠している外国人もいました。

狭い中12時間も掛かるのか、、、と早くも後悔しながらも、出発。
すると驚くことに、電車の振動で車内の窓がすべて全開になってしまいました。。
冬の夜風がピューピュー吹き荒れ、寒くて凍えそうです(T T)
自分は閉めたまま押さえても、他の人は知らぬ顔。慣れてるんですね。。結局また風邪を引くことに。。

途中、頻繁に停車し、その都度モノ売りが線路に群がってきます。
私もハノイで鍛えたベトナム語でなんとか空腹を乗り切りました。バオニュー、モッギンくらいですが(いくら?1000ドン・10円、という意味)。

ホイアン

そして早朝にダナンに到着。
ダナンはベトナム第3の都市で、世界遺産のホイアンを擁する観光地でもあります。
ハノイに比べれば暖かいですが、それでも暑いという感じではありません。観光地をめぐったり、海で日焼けしたりして過ごしました。
また阪神淡路大震災のときも(1995年1月17日)、ここダナンにいました
ダナンでは一人も日本人に会わず、日本の新聞などを見ることもなかったし、インターネットも無かったので、震災のことを知るのは、それから10日後、ホーチミンの「ドラえもん」という日本食屋さんでした。

ホーチミンへ

海は満喫したし、寒いのは嫌なので、ビーチリゾートのニャチャンや、高原リゾートのダラットに立ち寄るのは止め、ホーチミンに向かうことに。
今度は融通が利き、最も安い手段である乗り合いタクシーです。
早朝6時頃、メイン通りで荷物を抱えてブラブラしてると声を掛けられます。その中から交渉して選びます。

当時の乗り合いタクシーの相場は、ざっと100kmで1ドル。ダナン~ホーチミン間は600kmあるので、6ドルが相場です。やはり外国人には吹っかけてきます。助手席を一人で占有して12ドルとかが多いです。6ドルなら助手席に二人です。
カローラのようなセダンに8人乗ります。それで600kmもガタガタ道を走るのは苦行でしかありません。
助手席に一人、ただし他の人の荷物を足元に置くということで8ドルで交渉成立。
悪路を10時間くらい掛けてホーチミンへ。延々とガタガタ道だったため、ホーチミンに着いてからも数日はふわふわと揺れてるような感覚が残っていました。

ホーチミンではファングーラオというバックパッカー街が有名ですが、私はLelai通りにある3ベッドルームで6ドルというホテルを知り合った人と二人でシェアしたので、一人3ドルで泊まることができました。

当時から定番のメコンデルタやクチトンネル、戦争証跡博物館、ベンタン市場などを満喫しながら、次のプランを練っていました。
カンボジアから陸路ホーチミンに来ている人も多く、カンボジアの情報を多く得たため、ビザを再取得してカンボジアに向かうことにしました。

シクロの運ちゃんは日焼けしてます。

シクロの運ちゃんは日焼けしてます。

ホーチミンは他のエリアと違って観光客慣れしており、値段交渉はいつもハードでした。
タバコ屋(といっても路上で一人で売ってるだけ)が10mおきに並んでいるところがあり、価格を聞いて一番安いところで買う。翌日買いに行くと値段が上がっており、頑として昨日の値段で売ってくれない。
シクロに乗って、「ハイギン、オッケーね」(2000ドン・20円でいいよね)と交渉成立して目的地に着くと、「ハイダラー」(2ドル)と10倍をしつこく要求されたり。
ホテルをチェックアウトするときに、サンダルが無くなってるから払えといわれたり。存在すら知らないのに。

東南アジアで多数のバックパッカーと知り合いになり、中には世界150カ国以上を廻っている猛者や、1年以上旅している人も多数いましたが、ベトナムは一番鍛えられるとみんなが言ってました
ベトナム語を覚えてまた来たい、と思わせる不思議な魅力の国です。

まさか、その13年後にベトナムでビジネスをやることになるとは思いもよりませんでしたが、なんとなく思い入れ深く、去るときにも後ろ髪を引かれる想いをしたことは今でも覚えています。

これからもベトナムとともに、東南アジアとともに歩んでいきたいと思います。
ではでは。

▼問い合わせ先
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