ガイドブックにもほとんど載っていない、検索しても日本語の情報もあまり無い、そんなベトナムの知られざるマニアックなスポットを調べてみましたので紹介します。
一般的なベトナムの観光地では物足りない方、ベトナムの歴史を感じれる場所をお探しの方、ご参考となれば幸いです。

1. 星形要塞とは?

タイトルでは、イメージしやすいように五稜郭と書きましたが星形要塞、稜堡式城郭、またはこの形式を極限まで発展させた人の名前にちなんでヴォーバン様式とも言われる建築物です。

ヨーロッパで17世紀後半から18世紀前半にかけて広がり、一部はフランスにおいて『ヴォーバンの防衛施設群』として世界遺産にも指定されています。

1-1. 日本にある星形要塞

代表例は有名な函館の五稜郭です。形上は、下記のような星型ですが、他の形(四角形)をしたものが日本には存在します。建造は、いずれも幕末(1850~1860年代)の頃です。

1-2. なぜこの形が生まれて流行り、そして廃れたのか?

そこには戦い方の変化があると言われています。

銃火器が戦争に利用され始めたのは、15世紀前半ヨーロッパにおけるフス戦争の頃と言われています。戦争に伴い銃火器の性能はどんどん改良され、また大型化した大砲が攻城戦でも利用されるようになりました。

オスマン帝国が1453年のコンスタンティノープル攻略戦で使用した巨砲ウルバン砲や、1614年の大阪冬の陣で徳川方が使用したカルバリン砲などが有名ですね。

こういった大砲は、石でできた弾丸を高速で飛ばして運動エネルギーで城郭を破壊します。すると石造りで高い城壁と塔を備えた中世ヨーロッパのお城は、不利となります。

砲弾によって砕け散らないよう分厚い土壁とレンガを組み合わせ、また死角を作らずに多数の方向から援護射撃できる。数学的に計算され作られた星形要塞が16世紀ころから登場し、17世紀後半フランスの技術将校ヴォーバンによってほぼ完成の域に達しました。

しかし石の玉の運動エネルギーではなく、大砲の弾丸自体が爆発し殺傷する『榴弾』が戦場に登場し利用される様になったことや、大仰角からの砲撃が可能な曲射砲・臼砲が攻城砲として利用されるなど戦い方が変化したことで、こういった星形要塞は新たに建造されなくなっていきます。

2. ベトナムの各地に存在する星型要塞

ここからが本題ですが、ベトナムにもこういった星形要塞が各地に存在します。多くは、18世紀末から19世紀前半にかけて構築されたものです。

2-1. Vinh

1804年阮朝の初代皇帝である嘉隆帝の時に最初に要塞が作られ、1831年2代目の明命帝の時にヴォーバン形式となります。下記より現在でも当時の形が残っていることがわかります。

2-2. Bắc Ninh

1815年に最初の要塞が作られ、1825年明命帝の時に都市はラテライト(紅土)で覆われ、1841年第3代の紹治帝の時にレンガで覆われたとあります。

2-3. Thanh Hoá

1804年、嘉隆帝によって作られました。周囲 2960 m、城壁の高さは4.7mとのことです。

2-4. Đà Nẵng(Thành Điện Hải)

1813年、嘉隆帝によってもっと河口よりに作られ1823年、明命帝の時により高地である場所へ移動し1835年同帝によりĐiện Hảiと命名されました。1840年に大臣Nguyen Cong Truによって拡張が提言されて1847年に拡張し30の大砲を備えた要塞となりました。

日本からも直行便のあるダナンの中心部にこんな場所があるとは知らない人も多いのではないでしょうか。

2-5. Sơn Tây

1823年、明命帝の時に建造されました。1883年の清仏戦争において黒旗軍とフランスが激戦を広げたソンタイ川の戦いが行われた場所です。

2-6. Đồng Hới

1813年、嘉隆帝によって建造され1824年、明命帝の時に再設計されてレンガ造りとなりました。城の周囲は約1,860 m、高さ約4 m。1885年の清仏戦争でも戦地となり、ベトナム戦争でも爆撃を受けるなど戦地となった場所です。

2-7. Quảng Trị

1809年、嘉隆帝によって現在地へ移築され1837年、明命帝の時に再設計されてレンガ造りとなりました。城塞は正方形で周囲は2,000 m以上、高さ4 mの規模となります。1929年からフランスはここに刑務所を建設し政治犯を収容、1972年のベトナム戦争では激戦となりB52が4,000トンもの爆弾を投下するなどして、この要塞がほぼ平坦になるほどの被害を受けました。

2-8. Hà Tĩnh

阮朝の第4代嗣徳帝によってHà Tĩnh省の再設置に起因し、1875年にレンガ造りで要塞が建造されました。

2-9. Diên Khánh

1793年、後に嘉隆帝となる阮福暎が西山(タイソン)朝と戦うために建造されました。総面積は約36,000㎡で不規則な六角形をしており、周囲が2,693 mで高さ約3.5 mの規模となります。

2-10. Quảng Ngãi

1807年、嘉隆帝によって建造が開始され1815年に完成しました。正方形のヴォーバン形式で建てられ各辺は500mを超え、総面積は26ヘクタールを超える規模です。

これは衛星写真で見ても痕跡がわからないものの、地図で見るとかつての要塞の堀の部分が道路になっており、ここに要塞があったことを気付かせてくれます。まさに地形は語る!です。

2-11. Hưng Yên

1834年、明命帝の時に建造?周囲1556mで堀の幅は33mもあったとあります。衛星写真を見ても、ほとんどの人が気づかないと思いますが、道路や木々の存在がかつての要塞の形を表しています。

2-12. Bình Định

1814年、嘉隆帝によって建造されました。周囲は3 km以上で面積は70ヘクタール近くあり壁の高さは5m以上、厚さは1m、底辺部の壁の厚さは10mという規模です。1946年からフランスとの第一次インドシナ戦争にて破壊されたとあります。下記MAPにおいても要塞が消滅してわかりづらいですが、南側の木々と道路の形が要塞があったことを今に伝えてくれます。

3. ミニ要塞

星型ではないけど近世に作られた要塞もあります。日本で言うならお台場のような場所です。

3-1. Huế (Trấn Bình đài 鎮平台)

古都フエもヴォーバン式城郭に囲まれた都市です。さらにその一部の王城の端にある鎮平台という場所は、その影響が色濃く出ています。

1805年に嘉隆帝によって建造され1836年、明命帝の時にレンガ造りで再建されました。周囲1,048 mで壁の高さは5.1m、厚さはほぼ15 mという規模です。1885年の清仏戦争や1968年のテト攻勢で戦地となった場所です。衛星写真はわかりづらいので地図で表示しています。

3-1. Hải Tiến(Trấn Hải thành 鎮海城)

1805年に嘉隆帝によって建造された後、1830年~1833年にかけて明命帝の時に再建強化、さらに1840年に明命帝により灯台としての設備を追加されたという場所です。1883年の清仏戦争でフランスに占拠され、1954年7月28日の第一次インドシナ戦争の終結直前にベトナム民兵がフランスの守備隊を襲撃と戦地となった場所になります。下記MAPの少し右上にある円形の部分です。

上記はまだ判別ができるものを取り上げましたが、堀や塀が取り壊されてしまい現在では視認できない場所(例Vĩnh LongBiên HòaLạng Sơn)もあります。

4. 実際に観光してみると・・・

では、こういった要塞を実際に訪問すると、どのような感じなのでしょうか。筆者自身が見てきた場所を紹介します。

4-1. 一部がラピュタのようなSơn Tây要塞

ハノイ中心部から約45km、車で片道1時間半の場所にあります(行き方はバスかタクシーなどをチャーター)。町の中に緑に囲まれて堀があり、どこか日本の地方都市にあるようなお城を感じさせてくれます。

中へ進むとフラッグタワーがあり、その先に2007年に再建されたという敬天殿という建物があります。

その先に進むとベトナム戦争中の戦闘機やヘリの展示があったり、同じく1995年頃に再建された割には風格が出ている北門があります。

見どころの1つは、西門。当時から続く崩壊しそうな門が、写真の様に南国の樹木と融合し、まるでラピュタの様です。

城内の外周は遊歩道として整備されて一周回れるようになっており、一部だけですが城壁も再建されています。

もう1つの見どころは南門。後に作られた現在の南入り口のすぐ近くにあり、これも当時の姿を留めています。

結論としてこのSonTayは、時間をかけても行ってみる価値がある場所だと感じました。

4-2. 都市の中に残るĐồng Hớiの要塞

ホーチミンから直行便があるドンホイ空港を降りてタクシーなどでドンホイ市内中心部へ行くとあります。

写真に写っているのは、再建されたとみられる東門で、角張って向きを変えた堀や塀などが、要塞であったことを示しています。しかし観光客は、ほとんどいません。

なお要塞より少し南へ行くと、廣平關という門があり、ここは観光客でにぎわっていました。

DongHoiは、正直あえてこれだけの為に現地へ行くほどの場所ではありませんでしたが、以前紹介したフォンニャ洞窟の最寄空港がドンホイ空港であることから、洞窟巡りのついでで寄ってみるのが良いと思います。

ここまで読んだ方の中には、「ハノイやホーチミンといった大都市にはこういった星形要塞が存在しないの?」と疑問に思う方も多いと思います。

実は、かつては存在していました。次回、可能であればその辺についても紹介したいと考えています。

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