風景が差し替えられた
先日、新国立競技場に行く機会がありました。
改築されて以来、はじめてのナショナルスタジアムです。
当然、五輪開催の時は近寄る事さえなかったのですが、建て替え前は割と年に数度ぐらい行く場所で、記憶もわりと鮮明でそれほど昔とは思っていなかったのですが、フォトアルバムのログを遡ってみたら、2014年の年初が最後の記録として残っておりました。
8年半も昔の事だったとは。
競技場のまわりは周辺のラーメン屋やらコンビニ、周辺道路の配置やらはそのままに、敷地のブロックにあたる部分、馴染みの風景だけスッポリと風景が差し替えられたような感覚を覚えました。タイムトラベルとかすると、きっとこうしたクラクラした感じなのでしょう。今風にいうと「脳がバグる」ってやつですね。
体験も差し替えられる
新国立は屋根があり至って快適。フードスタンドのご飯は結構美味しい。隔世の感があります。
屋根なし、老朽化した旧国立で一番うまいスタジアムごはんはカップヌードルだ、という皮肉すらあったのに。世代の古いままの競技場では「温める設備」というのは消防法的にハードルが高いらしく、メシマズがあたりまえだったんですよ。
近代的な外観とは裏腹にわりと質素というかシンプルな造りなんですが、競技を見る環境としては悪くなかったように思います。3層構造の客席が満員で埋まった様はなかなか壮観で、ここで五輪競技を観られれば、多くのお客さんに良い思い出を残せたのだろうと思うと、とても惜しいことしたなと思います。少し風の抜けが悪そうなのと残念な感じの観客導線だけ見直せれば、良い施設として長く親しまれていくのではないかと。
そして記憶も
でもなんか、自分の頭のなかの国立競技場とは「屋根がなく、抜けるような空の下にピッチの緑、摺り鉢状にぐるりと囲んだ客席」なイメージが抜けないんですよね。冷めてしまった焼きそば食いながら、古びた座席と傷んだコンクリの足場に気を取られつつ、熱戦に興奮した記憶。あれはあれでよかったなと。
こういう記憶のデータは徐々に書き換えられていくのでしょう。(容量少ないですし)
新しいデータが良いものだけで上書きされるといいなと思います。