朝になったということは、起きなければならないということだ。でも果たして本当にそうだろうかと僕はベッドの中で考える。
僕は起きてもいいし起きなくてもいい。どちらを選択するかは完全に自由だ。ただ一つ言えることがあるとすれば、働かざるものは食うどころか住むことすらできないということだ。特に都会ではそれが顕著だ。
「やれやれ」
僕はベッドから降りる。昨夜遅くに飲んだスコッチが効いたみたいで、寝ている間一度も目を覚ますことがなかった。
代わりに胃の辺りがむかむかするが、これは仕方がない。何かを得るためには何かを差し出さなければならない。小学生だって知っていることだ。
お決まりのように服を着替え、お決まりのように顔を洗うと、僕はコーヒーを淹れにかかる。
バリスタを経営しているマスターが勧めてくれた、ブラジルの豆。ゆっくりとお湯の入ったポッドを傾けながら、僕はブラジルに思いを馳せる。南米に住んでいる人たちはどうやって立っているの? 幼い頃、僕がまだ重力というものの本質を理解していなかった時分に、三つ年上の兄に尋ねてみたことがある。兄は国民皆保険制度の財源を尋ねられたオバマみたいな顔をして、「さあ、でも多分、地面からたくさん取っ手が生えているのは間違いないね」と言った。「だってそうじゃなきゃ宇宙に放り出されちゃうだろう?」
気がつけばカップの中はコーヒーで満たされていた。いい出来だ。これを飲めばカリ・ウチスだってランバダを踊り出す。
コーヒーとパンのシンプルな朝食を食べている間、僕は2年前に別れたガールフレンドのことを考えている。
「義務だ権利だって言うのはよして。憲法議論をしているんじゃないんだから」
彼女には少しばかり貸しがあって、僕はいつもどうやってそれを返すかに頭を悩ませていた。けれどもそれについて僕が話を切り出すと、決まって彼女はそう言って猫がメントールを嗅いだような顔をするのだった。
隣の部屋からくぐもったジャズの旋律が聞こえてきた。
レイ・チャールズのドント・セット・ミー・フリー。悪くないセンスだ。
隣人はいつもこの時間にレコードをかける。まるでたった今覚めた夢の代わりに、別の夢が必要なんだと言わんばかりに。
カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んでいると、そろそろ仕事の時間だ。僕はPCの電源を入れ、調子を確かめるように肩を鳴らす。
連絡用のチャットアプリを開き、届いているメールをチェックする。
そのうちの一つに目が留まった。
「よく分からないな」
そう言って現実から逃げたところで、現実の方は追いかけてすら来てくれない。一番最初のガールフレンドがそうだった。
僕はクリスマスツリーの天辺に星をそっと置くように苦笑を浮かべる。
オーケー、そういうこともあるさ。
完璧な仕様などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。