この主人公は自分だ、と思う人とそうでない人に、日本人は二分される。
こちらは新潮社の「人間失格」の惹句です。
かの有名な太宰治「人間失格」の主人公と、その身を切るような苦悩や慈愛を的確に表現した秀逸な文章だと思います。(新潮社の文庫本のキャッチコピーは他にも良いものが多いのでぜひ見てみてください!)
日本人を二分する、と大きく打って出たこのキャッチコピー。これが似合う作品なんて、大文豪の遺した不朽の名作ぐらいでしょう。
ところが今回おすすめしたいのは、現代の人々を二分するかもしれない作品(個人の感想です)、しかも漫画、
「この主人公は自分だ、と思う人とそうでない人に二分出来る」であろう
新感覚ミステリー漫画「ミステリと言う勿れ」です!
ネットでも話題になっており、個人的にドラマ化やアニメ化も近いのではないかと期待大のこちらのタイトル。
読書の秋、いつもは漫画を敬遠するあなたも、ちょっとだけ漫画に寄り道してみませんか?
こんにちは。改めまして制作部、読書の秋の読書には漫画も含めて久しい根岸です。
月刊フラワーズで連載中の「ミステリと言う勿れ」は、主人公・久能整(くのう ととのう)くんが、なんの変哲もない大学生でありながら、そのちょっと変わった視点と持ち前の問題意識で結構シャレにならない事件をサクサクと解決していく物語です。ちなみに、殺人事件もあれば遺産相続事件もあり、さらに安楽椅子探偵的な一面も持ちながら、タイトル通りミステリー漫画じゃないと思います。多分。
(Wikipediaにはミステリー漫画って書いてあった)
ではこの漫画はなんなのか。主人公・久能整くんと物語から感じる魅力はなんなのか…。
「それ僕、常々考えてるんですけど」
物語の舞台はいつも閉鎖空間、それぞれの登場人物がそれぞれの事情を抱えて混沌とする中、久能君はいつもこんな風に切り出します。
(特に映画キサラギのような一部屋限定とかではなく、病室だったりバスジャックだったり遺産相続トラブルの渦中だったりという意味での閉鎖空間)
作者である田村由美先生は第1巻のあとがきで「すみません。整がただただしゃべりまくる話です」とおっしゃっています。
そして久能整くんが展開するのは探偵らしい推理ショーやロジックでなく、日ごろ抱くささいな違和感や、暇つぶしのような持論…それらがやがて事件を本質へと導くのです。
ただ、話題のチョイスがめちゃめちゃ絶妙で
「ロイヤルミルクティは何故ロイヤルなのかって」
「携帯ってつくものはたくさんあるのに携帯電話を携帯と略すのは何故なのかなって」
「カバの牙って円柱だと思ってたんですけど実は」
「そのとき僕勇気持って扇風機をつけてみたんですけど」
「どんな発明も自然の範疇だと思います」
…。
こういう人いますよね!?
いませんか!?
ちなみに私は日本人を二分したうちの「久能整くんを自分だと思わない人」なので、こういう着眼点を持てる人を「変なことをよく知ってる人」と思うのですが、
心の底ではこういう発想にちょっとあこがれてもいるんですね。当たり前のことを見過ごさなかったり、人が受け流すことでも強く興味を持ったり。
久能整くんたちの武器は「気づき」。
仮に事件が起きていても、起きていなくても、だれかの事情に「気づく」ことで本質に触れることは、
犯人にとっては厄介ですが(犯人だったことはないのでわかりませんが)、おおむね救いになるケースの方が多いのではないでしょうか。
そんなことないかな…
物語を通じて得る爽快さの中で、不思議とほっとする魅力の正体は、ここにあるのではないかと思います。
そんな久能整くんのおしゃべりは、耳なじみの良い雑談にも似ています。
「久能君って変わってんな…。」と思いながら耳を傾けたり、
「それ自分もおもったことあるわ」とにやにやしたり、
「久能君あの人に似てんな(私は姉に似てると思った)」と鼻息を荒くしたりしているうちに、
気が付けば閉鎖空間だったはずのその舞台へ、読者もまた上がっているのです。
舞台の真ん中に立って「久能整くんは自分だ」と爽快に思うかもしれないし、
そんなことみじんも思わず端っこでただ感心して見ていたら突然核心を突かれてハッとするのも醍醐味です。
あなたはどう感じたか、読んで是非教えてくださいね!
シーモアとかで1,2巻無料とかになってるタイミングもあります!!!
それではさようなら!