どうもどうも、
シャンプーとコンディショナーを詰め替えたかったんですが
両方シャンプーを詰め替えてしまって
コンディショナーが行き場をなくしている上田です。
「13歳からのアート思考」 という本が気になっています。
未だ触りだけしか読めてないのですが
噛み砕くと大人が学び直すべき教科は
「美術」 と言っています。
何故「美術」 なのか。
子供は生まれながらにアーティスト。
大人になって人はだんだんそうでなくなっていく。
「正解」をだすようになっていき
「自分なりの答え」や「問い」を生み出す力が
欠けていることに気づかないでいる。
ふむふむふむ。
図工と美術の人気格差
そういえば小学生までは
「図工」 が好きな授業上位なのに対して
中学から 「美術」 に変わると急激にランキングが下降し、
苦手科目とされがちですよね。。。
中学での美術の教育実習の際、
そこを課題としていたのを思い出しました。
図工の先生のアシスタントもしていたんですが
図工はどこか遊びの延長で
自由で楽しくなんでもやっちゃっていい感覚があるようです。
子供の自由な発想が満載で、予想を超えてくるので
見ている方も楽しかったです。
美術の授業は
過去の作品や技法などの知識がテストに出たり
一気にちゃんとやらなきゃ感が漂っておりました。。
”ちゃんとできているか” を評価しているのもあり
違いがあるのかもしれません。。。
図工にはあって美術でなくなってしまったものとは
教育自習当時、美術の授業では
「雨」や「花」の描き方を丁寧に教えており、
正直私は 「???」 疑問でした。
私は 「美術は答えが1つではないもの」 だと思っています。
人によって表現の仕方、
描き方は1つではないのではと思うからです。
図工の時間も美術の時間も同様に
”個々の発想を自由にだしていい時間” じゃないんですかね?
なんでそこの部分、変わっちゃうんですかね。
せっかくのアイディアもだしずらい感があるから
美術が ”つまらない時間” になってしまうんじゃないかと思いました。
もったいなさすぎる。。
だして良いんだよ!!!
大人になるにつれて変わってしまうもの
大人になるにつれて知識や経験で
「正解」 がわかるようになるのは良いことですが
「正解」 がいちばん良いわけではありません。
時には自分の意見や発想の妨げにならない程度に
参考にするくらいでも良いのかもです。
それが図工の時間に子供たちが見せてくれた
”想像を超える結果”に繋がるのかもしれません。
確かに私たち大人は
「正解は何か」 に囚われ過ぎているのかもしれません。
自由な発想って実はとっても難しいんですよね。
「自由に描いて」と言われて困ってしまう子供も多かったです。
本来は、大人になっても柔軟な発想ができるようにする訓練として
美術の授業があるべきだなと思いました。
大人になっても想像を超えることを生み出せている人って
こういう力に長けているってことですよね。
子供は未来。
将来は絵画教室始めたいなぁと思います。
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