家で娘の連絡ノートに書かれる避難訓練のコメントを見るや否や、台風19号のことが思い浮かびました。
上陸した台風の直撃に備えて、私たちはさつまいも・おにぎり・インスタント・ベトナム料理・水といった物などを準備して置きました。こういうふうに物を準備するのは、ベトナムでは旧正月を迎えるときぐらいです。
台風が襲うおよそ4時間前、マットレスを椅子に置いたり、必要な資料などを高いところに置きました。また、ニュースによりますと、台風の影響で断水になる可能性が高いとのことでお風呂に水を満たしました。
台風が近付くにしたがって不安が増してきました。だから、私は、隣に住んでいる日本人の方のところへ行き、状況を聞いてみました。万が一の場合はお互いに助け合いましょうと話していました。しかし、「東京でこんな台風に遭遇するのは初めてなので、何をするべきかまだ分かりません」っていう返事を聞くと一層心配だった。「どうすれば良いか、避難所に行くべきかな。」と考えていました。
30分後、警告レベル3という通知が届きました。私はそわそわして近くの避難所に行ってみることにしました。午後7時、防災行政無線によると、現時点は強い台風が近づいているため、避難してくださいという警告レベル4の発令で、私たちはためらわずに避難所に移動するのを決めました。ただし、大雨による影響で避難所はどこかに移転されてしまいました。その時点では雨がザーザー降っていたため動けず、中学校の階段の下に雨宿りしました。18ヶ月の娘がお祖母さんの脇に怖そうに隠れていました。みんな不安な様子でした。
15分後、すっかり途方に暮れていると、突然知らないおじさんが近寄ってきて、新しい避難所の場所を教えてもらいました。「おじさんに会わなければ、避難所に入れないどころか、家にも帰れないって!大変助かりました」。新しい避難所の中学校に着くと5階に連れて行かれ、ブランケットを三つ渡してもらった後、我が家は通路に泊まり込むことになりました。
9時ぐらい、外では台風19号が本格的に襲ってきました、窓が強く揺れるに伴って大きな音が出ました。あたかもホラー映画を見ているような感じがしました。
一方、避難所の中で娘は、見ず知らずの人にもかかわらず挨拶し、あちこちで遊んでばかりいました。まるで、ピクニックとでも思っているようです。疲れることなくはしゃぐ娘でした。私たちの方は準備して置いた料理をゆっくり食べて、なみちゃんの様子を見ながら楽しくお喋りました。
11時に台風は弱まってきましたが、僕の小さな台風は引き続き、周りの人に話し掛けたり母親に甘えたり通路をちょくちょく走ったりしました。結果、うちの子は疲れたので、未明に寝てしまいました。
午前7時に我が家は支給された物を返し、歩きながら「ナミのお母さん!ほら!晴れた天気と新鮮な空気は最高だね。故郷の朝の雰囲気みたいね。懐かしいな。。」と楽しく話しました。
私にとって大変というか楽しいというか素晴らしい経験です。すくなくとも困難な時に大事な人と一緒に過ごした朝でした。