あの峠を超えていこう

    ある抜け道に関する記憶

    御殿場側から山中湖に抜けるとき、あるいはその逆。

    渋滞しがちな主要道路たる国道138号線を避けていける一本の抜け道があります。須走地区から富士スピードウェイを脇を抜けていくと現れるかなり急勾配な峠道で、オートマ車ならなんてことはないのですが、エンジントルクが細くてポンコツなマニュアル車に乗っていると肝を冷やします。途中で一時停止しようものなら、たいへんシビアな坂道発進のクラッチ操作を要求されるところなので。

    いつぞや強い雨と濃い霧の夜に通ったときは、オフロードバイクが対向車線の下り、濡れた路面でバランス崩して転倒、ガリガリ滑り落ちてていくのを目の当たりにしたことがあります。幸い無事だったようですがその時の記憶は強烈で。

    晴天の昼間だとたいそう気持ちのいいスポットなんですけどね。

    三国峠(山梨県)っていいます。

    いまはもう便利な富士五湖道路が開通しており自分はほとんど利用しないルートで懐かしいなとググってみたら、少し前に展望台などはきれいに改修されてされてるようで、落ち着いたらまた行ってみたいなと思っています。

    超人たちの宴

    そんな難所を男子ロードレーサーたちがモリモリとペダル漕いで登っていくさまをWeb中継で観て驚愕しました。彼らのフトモモとケツはいったいどんな人知を超えたパワーを秘めているのだろうかと。

    まさか、あの三国峠超えをオリンピック自転車競技のルートに含めるとは。

    トータル230kmもの距離を一日で走るというのに、自転車での登坂など想像しにくいこの道を五輪のコースに加えた人は相当な鬼かと。が、その一方でトップアスリートはつくづく超人だなと思えました。(自治体のコース紹介動画見ましたが、キツイところは手で自転車押して登ってますね…そりゃそうだ)

    しかし自転車競技、こんなにおもしろいとは。ヘリやドローンも駆使した空撮の鳥瞰アングルを通して見知った道でもひとあじ違ったスケールと豊かな自然の表情を知ることができました。ああ、もう箱根駅伝みたいに毎年やればいいのに。

    思うに、競技開催におけるお役所の道路使用許可とか、無人デバイスを使った撮影技術とか、いろいろ今後の波及効果も高そうです。欧州などと違って日本の行政機関はスポーツに対して保守的で、公道のレースを開催するというのは(なぜか陸上競技系を除いて)とてもむずかしいと聞いています。だんだん変わってはいるようですが、そのようななかで明確な前例ができたっていうのは(対・役所的に)すごく大事なことのように感じます。

    マルチデバイス

    なお今回の五輪。TV中継はなくともWebのストリーミングで観られる競技がたくさんあり、普段観ないようなスポーツを知るのタッチポイントはいままでよりずっと増えているような気がします。

    久保建英のゴラッソなゴールの瞬間はメジャー競技たるサッカーなので普通に観られたとしても、渓流に抗うカヌーの操船術に度肝を抜かれ、アーチェリーの緊張感に息をのむ機会を無理なく【同時】に得られたのは、さすがの整備された視聴環境のオリンピックならではという感じです。TVとパソコンとスマホ、総動員ですね。

    多様な価値観を下地に視聴スタイルも多様化しているわけで、みんなで仲良く同じ競技を観て盛り上がるというのは合わなくなっていると感じますし、このようなスタイルが今後も定着すれば、さまざまな競技が次世代に刺激を与え、一部のメジャースポーツに有望人材と競技人口が偏在するという現状も緩和されていくのが期待できるのではないでしょうか。

    あたらしい競技として追加されたスケボ競技で、ボードから降りた堀米雄斗の飄々としたさまと「ごく普通の若者」ぶりを目の当たりにすると、改めてそのように感じます。スケボはマニアックなエクストリーム競技と思っていましたが、注目のヒーローの登場でこれから一気に人気爆発するのでしょう。というか、そもそも五輪の立ち位置ってそんな感じですよね?

    素直に五輪を楽しめています。

    すくなくとも自分は。

    複数デバイスで並行してマルチパネル観戦するような楽しみ方は、あたらしいスポーツ・エンタメ時代の到来を十分に感じられる体験でした。前述の自転車ロードレースのライブ中継などもTV放送でまったく取り上げられないなかSNS上で共有されたことをトリガーに広がりを見せ、異例の盛り上がりになったようです。

    Webに流れる撮って出しの国際映像(アナウンサーや解説をアサインする特定メディアがなかったため)に日本語解説は一切ない一方で、それはハッシュタグを追えば自転車競技に詳しいファンの方があちこちでつぶやかれていて、充分楽しめるという具合。

    日本人ほぼ活躍しないスポーツ競技にはメダル獲得というわかりやすい指標しか提示しにくいレガシーメディアの伝え方とありかたには限界を感じる一方で、ストリーミングにはすごく可能性を感じる機会を得られました。

    獲得メダルなんて本来はゲームのアチーブメントに過ぎず、競技そのものの面白さや素晴らしさとはリンクしないはずなんですけどね。

    開会式の件

    話題となった選手入場時に使われた名作ゲームのサントラに心震わされたのはさておき。賛否両論となった開会式も、難しい背景があるなか質素な演出で、自分は素直に良い式典だったなと感じられました。

    観ていてふと思い出したのは、タグチさん主催の社内デザイン勉強会のテーマ「余白」の話。ああ、この式典は多少いびつではあるものの、スキマを余白として昇華させているな、と。

    近年の五輪のオープニングが回を追うごとに演出特盛の豪華さでスーパーインフレしていくなか、さまざまな事情があってああなったにせよ、今回は強制的に人が減らされ、大きく間隔がとられたことをうまく逆手に取って「余白」としてまとめ上げ(辻褄合わせ)たようにみえ…そうせざるを得なかったんでしょうけども、それが結果的に日本的ででソリッドな表現として着地できたように中継を通して感じられたのです。

    こんなに地味でいいのかという声もわかりますし、サブカル偏重と苦々しく感じている方々もたいそうおられるそうですが、いろいろ削ぎ落として残ったものを見れば、これはこれで新しく時代に沿ったものだと受け止めるべきなのでは。

    そういえば、例のピクトグラムの表現のコミカルな演出。海外ではたいそう日本的で素晴らしいとして評価されているようで。よかったなと思います。

    その舞台裏に想像を巡らせてしまう件

    私達は職業柄、うまくいったりそうでもなかったりするプロジェクトの進行と向き合うことを日常としています。この巨大な祭典の運営は直前まで『それは想定外・コレどうすんの・そんなの聞いてないよ』のトラブルオンパレードだったのでしょうから、相当な修羅場だったのではと想像してしまいます。まだ終わってはいませんが、いま時点で漏れ伝わる分裂やら頓挫やらの薄暗い話が実話であったとしても、私達が考えられるところの、企画や工程がロールバックしたとかそんな小さなスケールではない想像を絶する困難さを思い身震いしてしまいます。ああ、当事者じゃなくて幸いと思ってしまいました。

    …そもそもお呼びではないですね。ええ、知ってます。

    ともあれ、そういう造り手視点での感情移入をしてしまったわけですが、とにかく匙を投げずに向き合っている現場の方々には深い敬意を抱いている次第です。

    峠を超えた向こう側の景色は

    当然、あちこち連鎖して噴出する現実と矛盾を突破して具現化までこぎつけたのですから開会式に限らず「それについては後で」というのも沢山あり、それらはのちのち回収され評価がされるでしょうし、それをうまく利用したい方々も山程現れるのでしょうが……まあそれはそれ。

    それよりいましばらくは、世界から苦労して集まったアスリートのみなさんが披露する渾身のパフォーマンスをできるかぎり堪能できればと考えてます。いちスポーツ好きとしてはこの祭典がこの厳しい峠を超えて大過なく無事に終われることを願っております。

    じつは少し前からスポーツドキュメンタリも立て続けに観ているのですが、この話はまた次回あたりにでも。