沈黙の上には夜が欲しい【落窪物語】

    古典×物理=ファンタジー

     

     

     

    ある日突然、
    地球はもはや回転する盲目の空間となり、
    昼と夜のけじめもなくなった。

     

    こんにちは、こんばんは。
    緊急事態宣言だから、
    自粛期間だから、
    と言いつつ10年前から同じ生活。

     

    太陽なんてとうの昔に死んださ。

     

    昼の眩しさを足蹴にしたというだけで
    夜に捕まってしまった人間囚たち、
    沈黙の夜をどうお過ごしですか。

     

    上京した頃に、
    住み始めたこの家賃5万3000円のスペースコロニー。
    イデオロギーの外に位置するここに、
    これと言った家具や雑貨が無いと3年目で気づくことに。

     

    昼は安物のカーテンが人工光の侵入を妨げて、
    夜が造った青黒いカーテンは睡眠を妨げます。

     

    生活音や人間の話し声が、
    人工太陽から出る断末魔の叫びによって掻き消されたら、
    いわゆる夜です。

     

    夜といえばやはり諜報活動と暗殺でしょうか。

    諜報活動といっても本読むだけ。
    暗殺といってもモニター越しに戦うだけ。

    ですけど。

     

    今日は、
    夜もすがら思い耽るだけの永遠を感じながら、
    10年前の疑問が晴れた記念日です。

     

    きっかけは本屋で見つけた、
    Newton別冊『時間とは何か』

     

    10年前に物理の先生が、

     

    力学的法則に時間の向きは存在しない。

     

    当時は意味がわかりませんでした。
    時間に向きが存在しないなら、
    過去に戻れるってことか。
    タイムマシン造っちゃうぞー。
    1000年後の荒廃した未来にでも行ってパワードスーツ着て戦うぞー。

     

    って、思いましたもん。

     

    でも、

     

    時間の向きは存在しない、だけど、
    必ず特別な状態から自然な状態へと変化する。

     

    何言ってるか分からなかったけど、
    パワードスーツが着れないことは察しました。

     

    それから約10年、
    Newton別冊『時間とは何か』
    を読んで、そう言うことね。って。

     

    10年前の疑問が晴れた記念日。

     

    ですが、このことではないんです。

    時間ごときを説明した1冊で、
    夜が明けてなるものか。

     

     

    ここからは僕の話ではなく1000年前の女性のお話。
    そして享楽に耽る、夜のお話です。

     

     

     

     

     

     

     

    今は昔、痛ましくも美しい女性がおりました。

     

    実母を亡くし継母に育てられている彼女は
    部屋の一室から出ることなく、
    Netflixを見るわけでも、
    漫画を読むわけでもなく、
    灰をかぶりながら縫物をしています。

     

    1000年前、
    緊急事態宣言なんてあるはずもない世界の一室で彼女だけが、動けません。

    慣性の法則

    慣性の法則
    外部から力がはたらかない時、静止する物体は静止し続ける。

     

     

     

    彼女を灰かぶり姫たらしめる理由は、
    美しさを妬む継母からの徹底的なイジメでした。

     

    美しい彼女が男性に見られると、
    実の娘よりモテてしまうからと、
    みすぼらしい部屋に閉じ込めます。

     

    畳が落ちて窪んでいる部屋で生活する彼女のことを、
    石を投げつけるようにこう呼びます。

     

     

    “落窪の君”

     

     

    落窪の君よ寝る間も惜しんで縫物しろ

    落窪の君よお前の持っている高価な物を全てよこせ

    落窪の君はハゲた年寄りと結婚させよう

     

    世の中に いかであらじと 思へども
    かなはぬものは 憂き身なりけり

     

    どうしようもない世の中を生きようと思うけど、
    どうしようもないのはこの身だと。

     

     

    やがて彼女は自らの死を望むようになりました。

    放物線

    放物線(等速直線運動×等加速直線運動)
    放つ悪口は、放物線を描いて相手の元に着地する。

     

     

    そんな痛ましくも美しい姫君の噂を、
    稀代のモテ男、女色に溺れる右近の少将なる男が聞きつけます。

     

    寒空の下、
    昼と夜のけじめもない落ち窪んだ一室に
    右近の少将は忍び込んで言い寄りますが。

     

     

    落ちる加速度は9.8[メートル / 秒の二乗]で、
    またそれぞれが口に出せない事情で、
    落窪の君は静かに、
    浮かんでは消える言葉を数えて振る舞います。

     

    ひとつ ふたつ みつ よつ…

    いろはにほへと ちりぬるを…

    終わりはあると 知りつつも、

    灰も埃も 散りぬるを。

     

    被った灰など払ってやる、
    必ずお前を救うと、右近の少将。

     

    そこからは2人だけの世界。

    静かに同じ体温を感じながら、

    沈黙の上には寒空。

    でも下は。

    熱平衡

    熱平衡
    接触した2つの物体。
    高温の物体は冷え、低温の物体は暖まり、やがて両者の温度は等しくなる。

     

     

    その後、
    落窪の君は右近の少将と屋敷を抜け出します。
    身勝手な理由でイジメていた継母ですが、
    落窪の君が屋敷から消えてからは散々です。

     

    移動中に車が壊れたり。

    実の娘が顔性格イマイチの男と替え玉結婚させられたり。

    旅行先のホテルが満室で車中泊したり。

     

    継母は何が何だか。

    でもこれ、全て右近の少将が裏で仕組んだ復習劇なんです。

    閉曲線(ジョルダン曲線)

    放物線(等速直線運動×等加速直線運動)
    閉曲線
    放物線を描いて着地したと思われた悪口は、
    大きな閉曲線を描いて帰結する。

     

     

    そんな稀代のモテ男、右近の少将ですが、
    一夫多妻が当たり前の平安時代に
    落窪の君だけを一生愛し続けましたとさ。

     

     

     

     

     

    今年の東京大学入試、古典は落窪物語だったそうですね。

    作者不詳、
    竹取物語、宇津保物語、この系譜を継いで書かれたのが落窪物語です。

     

    継子いじめを題材にした作品ですが、
    落窪物語はどこか腑に落ちなかったんです。
    落窪なのに落ちなかったんです。

     

    力学的法則に時間の向きは存在しません。
    机上の理屈では、
    すべての力学的法則は時間を逆にしても成り立ちます。

    でも現実では、過去から未来にしか進めません。

     

    覆水盆に返らず。
    だけど、
    言動は本人に返るんです。

     

    落窪物語は伝奇というジャンル。

     

    伝奇とはいわば、ファンタジーです。

     

    竹からかぐや姫が産まれる竹取物語
    琴を奏で天人を召喚し戦う宇津保物語

    そして落窪物語

     

    源氏物語以前に書かれた、
    文学史でも有意義なこの3作品。
    そして、当時一世を風靡したであろう伝奇というジャンル

     

    でも、
    落窪物語だけは伝奇と呼べるほどのファンタジー要素がないじゃないかと、
    ファンタジー学生だった僕は怒ってましたよ。

     

    ですが、
    力学的法則を裏切った上で、
    相背馳する文学的夢想を孕むことで、
    ファンタジーとしてるのではないかと、
    決して戻れない過去の自分をなだめます。

     

     

    地球は宇宙に囲われてるのに、
    上には空があって、下には地面があると言います。
    上と下、この表現も夢想なのかもしれません。

     

    言葉って全て後出しなんです。

     

    人生を語れば言葉足らず、
    愛を伝える言葉も見つかりません。

     

    美しいのは言葉ではなく、
    行動だということを分かっていながら、
    死ぬまで本から言い訳を探します。

     

    1冊の本は延期された処刑です。

     

    僕らは昼の眩しさを足蹴にしたというだけで
    夜に捕まってしまった人間囚。

     

    沈黙の上に煌めく星空の網に。

     

     

     

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